大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 平成7年(わ)562号 判決 1995年6月02日

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

平成七年五月一日付け起訴状記載の公訴事実については、被告人は無罪。

理由

(犯罪事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年三月三日ころ、千葉県浦安市<番地略>被告人方居室において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を自己の左腕部に注射し、もって、覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示行為は覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状により、平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(平成七年五月一日付け起訴状記載の公訴事実について、無罪を言い渡した理由)

一  右の公訴事実は、「被告人は、覚せい剤取締法違反で勾留中の被疑者乙山次郎に有利な処分を得させるため、平成七年三月二三日ころ、千葉市中央区中央<番地略>所在の千葉地方検察庁検察官室において、担当検察官に対し、真実は、右乙山に覚せい剤を譲り渡したことがないのに、『二月一八日ころの午前一時三〇分ころ、東京新宿のアルタという建物の前道路で乙山次郎という男にカプセルに入れた覚せい剤一個をただでくれてやりました。乙山はカゼをひいたと言うので、私はかなりききますよ、と言って風邪薬のような意味で渡したのです。』などと虚偽の事実を供述して、内容虚偽の検察官調書を作成させ、もって他人の刑事被告事件に関する証憑を偽造したものである。」というものである。

二  被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官(乙10ないし12。証拠等関係カードの検察官請求証拠の甲乙別の番号を示す。以下、同じ。乙12は、押収されており、その番号は平成七年押第一二九号の1である。)及び司法警察員(乙9)に対する各供述調書、乙山次郎の検察官(甲16)及び司法警察員(甲15)に対する各供述調書謄本、丙原三郎の検察官(甲18、19。いずれも謄本)及び司法警察員(甲17)に対する各供述調書、検察官作成の捜査報告書謄本(甲21)及び司法警察員作成の実況見分調書(甲20)によれば、以下の事実が認められる。

すなわち、被告人は、前記有罪認定された覚せい剤取締法違反罪により逮捕・勾留中の平成七年三月二二日、千葉市中央区中央<番地略>所在の千葉地方検察庁内一時留置場の第八房において、検察官の取調べを待っている間、乙山次郎(以下「乙山」という。)と同房となった。被告人と乙山とは、そのときが初対面であった。同人も自己の覚せい剤取締法違反の被疑事実につき検察官から取調べを受けるためにその日、その房にいたものであるが、被告人に対し、「覚せい剤を飲ませた相手になってくれないか。その相手になってくれれば、覚せい剤五〇グラムをやるし、出てから仕事の面倒もみる。おれは起訴されれば刑務所に行かなければならない。あんたが風邪薬だと言って覚せい剤の入ったカプセルを渡してくれ、それをおれが知らないで飲んだことにしてくれれば、おれは刑務所に行かなくてもすむ。」などと言った。被告人は、覚せい剤の誘惑に負けたことなどから、その話を引き受けることにした。そこで、乙山と被告人は、「二人は、去年の一二月の二〇日すぎころに、東京の錦糸町のロッテ会館の前で初めて会い、そのきっかけは、乙山の車、つまり赤のシボレー・コルベットを被告人が蹴とばしたことで知り合ったことにする。その後、今年の一月三日に東京の新宿で会い、その次に二月一八日ころ、東京新宿のアルタの前で待ち合わせ、その時、乙山が風邪をひいていたようなので、被告人が、覚せい剤をカプセルの中に入れ、『風邪薬』だと言って、乙山に渡した。」という全く架空の話を作り上げ、乙山は、この話を警察や検事の調べのときに話してほしいと被告人に頼んだ。このような打合わせの結果、被告人は、翌日の三月二三日、千葉地方検察庁検察官室に呼び出されたとき、乙山の右被疑事件の捜査を担当する堀江貞夫副検事に対し、乙山を不起訴にしてもらうために、右の趣旨の虚構の事実を供述し、同検察官は、その内容を録取し、これを被告人に読み聞かせたところ、誤りのないことを申し立てたので、被告人の署名指印を求めて、供述調書を作成した。その供述調書には、「二 私は、このほかにも平成七年二月五日ころ、覚せい剤を買い、その後二月一八日ころの午前一時三〇分ころ、東京新宿のアルタという建物の前道路で乙山次郎という男に1.5〜2.0センチメートル位の大きさのカプセルに入れた覚せい剤一個をただでくれてやりました。乙山はカゼをひいたと言うので私は『かなりききますよ』と言って風邪薬のような意味で渡したのです。(中略)三 乙山とは、平成六年一二月二〇日から二五日位の間に東京の錦糸町で初めて会って、その後二〜三回会っています。最初に会った時、私はパチンコに負けて気持ちがイライラしていたので道路に駐車してあった赤色のコルベットという車のタイヤを蹴ってやったのです。そのタイヤは前後左右どのタイヤを蹴ったのか憶えておりません。すると直ぐそばにいた車の持主という乙山がいて『何やるんだ』と言って叱られたので私は直ぐ謝ったのです。その後乙山と私が仕事をしていないこと等を話し、乙山は木更津で料理店を経営し、その他に車や携帯電話、貴金属類を扱っていて安く手に入る等と言っておりました。お互に電話番号を教え合って別れ、その後正月三日ころに新宿で会いましたが、新宿を二時間位ぶらぶらして別れました。その後は先程話した二月一八日ころに会って覚せい剤入りのカプセルを渡したのです。」などとの記載がある。

三  右のように、他人の刑事被疑事件について、参考人として、取調べを受け、その際、虚偽の事実を供述する、特に、本件のように、全く架空の事実関係を作り上げてそれを積極的に捜査担当検察官に供述することは、悪質な捜査妨害というほかなく、供述調書が作成されるに至ったことをとらえてその処罰を求める本件起訴に、ある程度実質的な理由が存することは認めざるを得ないところである。しかし、それが、平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法一〇四条にいう証憑を偽造した場合に当たるといえるかは、一つの問題である。

よって、検討するに、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をすることは、それが犯人隠避罪に当たり得ることは別として、証憑偽造罪には当たらないものと解するのが相当である(大審院大正三年六月二三日判決・刑録二〇輯一三二四頁、同昭和八年二月一四日判決・刑集一二巻一号六六頁、同昭和九年八月四日判決・刑集一三巻一四号一〇五九頁、最高裁昭和二八年一〇月一九日第二小法廷決定・刑集七巻一〇号一九四五頁、大阪地裁昭和四三年三月一八日判決・判例タイムズ二二三号二四四頁、宮崎地裁日南支部昭和四四年五月二二日判決・刑裁月報一巻五号五三五頁参照)。それでは、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をしたにとどまらず、その虚偽供述が録取されて供述調書が作成されるに至った場合、すなわち、本件のような場合は、どうであろうか。この場合、形式的には、捜査官を利用して同人をして供述調書という証憑を偽造させたものと解することができるようにも思われる。しかし、この供述調書は、参考人の捜査官に対する供述を録取したにすぎないものであるから(供述調書は、これを供述者に読み聞かせるなどして、供述者がそれに誤りのないことを申し立てたときは、これに署名押印することを求めることができるところ、本件にあっても、被告人が供述調書を読み聞かされて誤りのないことを申し立て署名指印しているが)、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をすることそれ自体が、証憑偽造罪に当たらないと同様に、供述調書が作成されるに至った場合であっても、やはり、それが証憑偽造罪を構成することはあり得ないものと解すべきである。

四  してみると、前記公訴事実は罪とならないから、右公訴事実について、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言い渡しをすることとする。

(裁判官中川武隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例